
第16期の紬塾の最終回が無事終了しました。
(※26年度の「紬塾」詳細はHPにアップいたしました)
最後の回も盛りだくさんな上に、打ち上げもあり、さすがに疲れました。(@_@。
内容は、名古屋帯の柄付けについて詳しくお伝えしました。
帯のポイント柄は位置が決められています。制作する上でも大事なポイントです。
時々、いい位置に柄が出てない締め方や、お太鼓に畳皺が出ている方がありますが、そうならないよう詳しく柄の位置を記した帯芯を使って説明しました。
“結び方”が先にありきで、ものをよく見ていないのです。
そして、打ち上げでは、みなさんからの心づくしの持ち寄り“おつまみ”をいただきながら、感想をうかがいました。
みなさんの感想は、後日のブログに上げます。

そして、この持ち寄り“おつまみ”が面白いのです。
それぞれの思い入れのある品が並ぶのですが…、
今回参加くださった、養蚕から製糸、販売までをされている、蚕絲館・東宣江さんは、養蚕の流れを模して造られた、群馬県の虎屋製の落雁「婦志の錦」をお持ちくださいました。
みなさんにも1袋ずつお持ち帰りいただいたのですが、東さんのお仕事に対する愛情もいただいたような・・、味わっていただいています。
蚕糸館についてはHPご覧ください。
製糸のワークショップなどもなさっていますし、動画でお仕事の一部も紹介されています。
プロフィールにも今日に至るドラマチックな出来事が綴られています。大変な仕事だと思いますが、布の風合いを生み出す元は糸にあります。座繰りの糸でなければ出せない風合いがあります。よいお仕事を夫君と続けていただきたいです。
最後にみなさんと記念撮影をしたのですが、それぞれの方の満足気な表情が写り込んでいて、私もうれしく思いました。私が赤い顔をしているのでアップしませんが・・。(#^^#)
この日の私の取り合わせは、自然体の落ち着く取り合わせです。

初期の作の、藍一崩し、赤城の極太節糸を使った紬帯「緑蔭」、梅染丸紋帯揚げ。
着物と帯と帯揚げ、オール手前もので失礼します。(^-^;
夜は、連れ合いがマリア・ジョアン・ピレシュの心地よいピアノ演奏を流してくれ、私はワイン片手に、みなさんからの感想がリフレインされ、あれもこれももっと話題を膨らませることができたのではないか…とさらに興奮覚めやらず、でした。(*’‐’*)
この講座では、自分たちが思い込みを解き、自分を解放して素直にものを見て、受け入れていくような機会になればと思っていますが、最後の回では、そういう感想もありました。
昨年4月から1月までの間で、本当に分かったというものではないと思いますが、今後に生かしていただきたいです。
そして、紬塾では、毎回順番に、幸田文「きもの」の感想を2~3箇所指摘していただくのですが、それぞれに視点が違い、とても面白いのです。
私も読み飛ばしていた箇所に出会うこともあります。今まで16期に亘る中で、たくさんの発見がありました。

この本はいくらでも深読みのできる名著であると断言できます。
紬の話は殆ど出てきません。でも着物や布を生活の中でどう扱ってきたか、どういう心がけで着ることと対峙していたのかを知る貴重な文化的資料としての意味も含め、大切に読み継がれなければならないと思います。
このような位置づけで、副読本にしているわけですが、前回の講義の時に、受講者である平野敬子さんが指摘された箇所は、今の社会の在り様とも重なる大切な箇所だと思いましたので、ご本人に文章化してもらいました。
下記の平野さんの文中にある、「着物の着方を乱しては世間が乱れる」は、世間を乱すのは、個人一人ひとりにかかるということです。大事なことと思います。
着ることは、個人の好みや楽しみ、楽だから―、で着るものではなく、社会性を持ったもので、個人を超えるものだ、ということを意識しないといけないのだと思います。
私の大正生まれの母も、着るものは質素ではあったけれど、だらしのない恰好は精神の「恥」であると思っていた節があります。若い頃、朝起きてからパジャマのままでいつまでもいると、必ず叱責されました。
床に臥せるような時が来ても、寝間着はきちっとしたものを身につけなければならないとか・・。
衣服をまとうこと、身支度への毅然とした考えがありました。るつ子のおばあさんの言葉と重なります。
田中優子著『布のちから』に、”メディアとしての布”という章があり、インドのガンディーが手織り布にこだわった話などが綴られています。この本も人は「何を着るのか」を考えるうえで参考になります。
最後に、平野さんの気づきの感想をご紹介します。
引用の箇所は、新潮社の単行本ではP.242、文庫本では、P.292になります。
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『きもの』を読んで
中野みどり先生が主催される「紬きもの塾」の課題図書として幸田文の『きもの』を手にとった。読み始める前はストレートなタイトルの印象から、着物の種類や着方を記したエッセイのようなものとたかをくくっていたが、読み進むとそれが全くの見当違い、愚かな偏見であることにすぐに気がついた。
特に印象深かった箇所は、るつ子の家庭教師先で寝巻き姿のまま日中を過ごす教え子の叔父についてのくだりである。「…この男は袷に浴衣を重ねたのを、昼も着ていた。るつ子の父も襟のかかったどてらと浴衣を重ねて着るが、それは要するに寝巻と防寒着なのだから、夜しか着ず、昼間着ている人のことを軽蔑した。どんな職業の人でも、仕事着と、祝儀不祝儀の着物と、寝巻は、みな別だ。それを乱しては世間が乱れるからいけないのだ。…(本文p292引用/『きもの』新潮文庫 平成26年12月10日18刷改版)
「それを乱しては世間が乱れるからいけないのだ。」要するに「着物の着方を乱しては世間が乱れる」とまで言い切り、着るモノが人の精神、ひいては社会に与える影響の大きさについて確信的にのべられている。ではこの観点からファストファッションに覆われた現代を見るとどうなのか。大量廃棄による環境負荷、低賃金労働など問題が山積し、どれほど乱れた状況に陥っているのか。絶望的な気持になる。
登場人物の中でも、主人公るつ子の教育係である「おばあさん」の存在は際立っている。着物に対する知見はもとより、ことあるごとに「どうあるべきか」の規範をおばあさんが指し示す。この時代は経験豊かで聡明な老人が物事の正邪を見定める相談役を担っていたことで社会の秩序は保たれていたのだと理解した。
私小説のようなスタイルで日本特有の衣「着物」にフォーカスし、日本人の感受性や美意識、ひいては国柄を読み解くべく、鋭い観察眼を通して日本人像が浮き彫りになる様は、文化人類学的な観点ともいえる。幸田文の『きもの』は壮大なスケールの読み物であると思った。
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