染織家・中野みどりの仕事

「紬きもの塾」の記録や紬織、きもの、工芸、自然、平和を綴ります

第17期「紬きもの塾26」がスタートしました!

 

第17期「紬きもの塾26」がスタートしました。

今期も5名の方と行います。
今年も北陸、関西など遠くからわざわざ参加してくださいました。
お近くの方にせよ、この敷居の高い紬塾へ勇気を出してお越しくださり、感謝申し上げます。


みなさんに自己紹介をしていただきましたが、それぞれの方が自分の気持ちや仕事の本質に触れたいのだということだと思いました。ただ着物や紬が好きとか、知識を得たいではない、織物や着物を通して自分と向き合いたいのだということを感じました。

 

お一人、第1期2009年の紬塾に参加された方が2回目の参加となりました。

初回はテストケースのようなところもあり、当時からすると、内容も盛りだくさんになっていますので、また新鮮な気持ちで聴いてもらえると思います。

 

毎回同じことを申しますが、紬塾は知識を深めるというよりも、自分が観て触れて体感してもらうことを重視しています。自分が、何か気づきや発見があればよいと思います。

 

そして、いつものように桜染めの2タイプの私の私物の着物を羽織ってもらいました。
自然光だけで自分に似合う色や風合いの違いなどを見てもらいました。
畳まれた状態と羽織った時とで色も布の光沢、表情も違うことに驚かれていました。

上の写真は少しトリミングしたりして、顔がはっきりしないようにしていますが、みなさん、初対面の方同士が緊張から解かれる瞬間でもあります。
    

 

さて、いつもと同様、初回の私の装いは、修業時代の最後に、宗廣先生から一反分の真綿を頂き、母の為に夜なべでつむいだ太い糸で織った井桁絣の着物。染料は乾材の阿仙と丹殻、藍です。もの創りの原点、私の原点となる紬です。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           木綿の紺絣の一番オーソドックスなものは井桁絣か蚊絣と思いますが、その基本技術を修業の最後に確認したかったのです。基礎は何事においても大事なことだと思います。

みなさんにもしっかりしていて柔らかな風合いを触って確認してもらいました。
織りの密度や糸の太さ、糸の性質などと関係します。
もちろん織り方の良しあしもありますが・・。
そういう技術の核心となる部分も含め、次回からお話しします。
 
帯は半巾帯プロジェクトで10本織った内の最後の1本です。
最終的に自分用になりました。一本がひと柄で、締め方によって色柄が違ってきます。
締めるには難易度がかなり高い帯です。(^-^;

 

 

床の間には山口長男の水墨画「群」を掛けました。春、草が萌え始め馬や羊などの草食動物が美味しそうに草を食む姿を想像します。

 

紬塾では毎回床の間の絵を掛け変えています。

また庭に花のある時には生けることもあります。

この日は庭のリンゴが花を咲かせていましたので、一枝手折ってきました。

江戸切子扁壺花器は小川郁子作。


部屋には何かしら花を飾りますが、立派な生け花ではないのです。今なら庭の草々です。季節を部屋の中でも愉しみたいです。

 


今期も充実した会になるよう務めますので、ご参加のみなさまよろしくお願いいたします。

 

紬きもの塾主宰/中野みどり

 

 

 

 

第17期「紬きもの塾26」受講生募集は3月6日(金)から受け付けます

先日紬塾「開催のお知らせ」をしました通り、3/6(金)より受講生の受付を開始いたします。HPをご覧の上、お申し込みください。 ※受付は終了しました

※定員に達しない場合、開催できないこともあります。

tsumugi-midori.hatenablog.jp

 

紬塾へは、着物に関心はあるものの、着付け教室へ通ったけれど、「ほとんど着ていない」、という方も参加されています。

着物を着方、着付けから入るのではなく、手織りの紬の布とはどんなものなのか、糸や色から、布をとことん使うことの魅力を知ることも大事なことだと思います。

また、着飾るためのファッションの着物というだけではない、人と着る物の関りを学ぶのも良いことです。

着慣れている方にとっても、一層着物への愛情が深まると思います。

 

不明な点がありましたら、HPの問い合わせからお問い合わせください。

 

 

 

 

 

第16期「紬きもの塾25」の受講生のレポート

               スカートの裾纏り縫いスイートピー /中野みどり

 

2月も半ばになり、春の訪れが待ち遠しいです。

花屋さんやスーパーで売られている春の花を眺めています。

基本的には和花や草の花が好きなのですが、子供のころから親しんだスイートピーやチューリップ、パンジー、デージー、マーガレット、フリージアなど、時々買って部屋に飾ります。

画像は、先日スーパーで、スイートピーが1束だけ売れ残っていて、求めました。香りも良く、何かウキウキ楽しくなる花です。

 

スイートピー、スイトピー、どちらを使いますか?

私はスイートピーと子供のころから言っていましたが・・。

英語名で「Sweet pea」 なので、その発音に近いのはスイートピーですが、両方使われているようです。

掲句は、数年前にスカートの裾上げをしている時に作った句です。一応俳句大会で入選した句です。(^<^)  

俳句の下五は一字、字余りになりますが、固有名詞はOKなのでスイートピーを使いました。

 

さて、昨年4月から1月まで、7回の講座を1セットとし、「紬基礎コース」として開催しました。今期も遠方からも熱心な参加者もありました。ご苦労様でした。

後半、体調を崩された方、お身内のご不幸が続いた方があり、残念ながら全員が修了とはいきませんでした。人生はいろいろなことがありますので、また来期、ご都合が合えばご参加いただきたいと思います。

4名の方は、最終回まで皆勤の参加となりました。ありがとうございました。


そこで、7回を振り返っていただき、レポートを提出してもらいました。

知識も大切ですが、私は感性を目覚めさせることのほうがもっと大事だと思っています。刷り込まれた情報を一度捨てて、無垢な目、気持ちで臨んでもらいたいと初回にもお伝えしました。

こちらもなるべく五感に働きかけるような、自然光の中で実際に見てもらう、触れてもらう、繭から糸を繰る時の、「当たり」を感じてもらう、植物の匂いをかいでもらう、機の音を聴いてもらう、指先を動かしてもらうなどの内容にしています。

 

私たち日々の暮らしの中、料理すること、ものを作ること、文字を書くこと、歩くことも、自然に触れることも少なくなり、ネットや、SNSの自分の好みの情報、あるいは行動データに基づいたアルゴリズムに導かれ、多数へ流れ、流される。

今回の衆議院選挙もそういったデータに基づく投票行動がみられました。

 

AIも当り前のように活用され、恐ろしいことに戦場でも使われています。

調べ物もまずAIが顔を出します。自分で調べたり、迷ったり、試行錯誤したり、人には大事な時間のはずです。

 

さて、そんな中、糸から作り出す手仕事だの、生木のチップから作る草木染だの、洗い張りの度に風合いを増す紬の着物を愉しむとか、優雅なこと(!?)を学びに来る人はよほど恵まれた人たちと思われてしまいそうですね。

しかし、紬塾の内容は紬織の知識だけではなく、手つむぎ糸の紬織りを通して、私たちは着物とどう向き合へばよいのか―、どう生きればいいのか―、というところまでを学び、実践に繋げていく講座です。

受け身ではなく、自分で考える機会をつくれればよいと思っています。

 

塾に参加してくださったみなさんが、自分で感じたことを自分で考え、自分の言葉で綴って下さっています。
表現はそれぞれ違いますが、講座の熱気、真剣さが伝わってくる内容だと思います。

紬塾のエッセンスだけでも共有していただければ幸いです。


26年度も開催の予定ですので、ご興味のある方は、是非お読みいただきたいです。

3/6(金)から受付を開始します。


以下、4名の方のレポートです。
少し長文もありますが、お時間があります時に、じっくりお読みいただきたいです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


わたしが「紬きもの塾」に参加したきっかけは、2014年に宗廣力三生誕百年記念展で先生の作品を拝見したことです。
門下の染織家作品が一挙に揃う貴重な展示でした。着尺を中心に紬の素敵な織物がたくさん並びます。わたしは目を皿にして展示会場を一点も見逃さないように端から拝見して行きました。その中に他とは何か違うと感じる作品がありました。触れることはできないので目視での感覚ですが、紬の糸のタテヨコの配置と織りの打ち込み具合がなんて美しいのだろうと思った記憶があります。その作者が中野みどり先生でした。紬きもの塾を知ったのはそのときです。直ぐにでも伺いたかったのですが、仕事の関係で今期まで参加が叶いませんでした。


記念展では平型展示で拝見した先生の作品を、今塾の初回で羽織らせていただいた時間が忘れられません。4月の昼下がり、室内に射し込む自然光で視る草木の色、纏ったときに布が体にやさしく寄り添う心地よさは新鮮な驚きでした。着物は2点で、いずれも淡いピンク系と黄色系の色合いです。姿見に映る自分がいつもより凛としながらも物腰柔らかく上品に見えるのは何故でしょう。きものをあてると、どなたの肌色も血色よく高揚して見えるのが不思議でなりませんでした。

わたしは、第2回「糸、色、織」を一番楽しみにしていました。このときのお話は思い返すたびに胸が高鳴ります。煮た繭から糸が繰りでる様や真綿が糸になる体験、繭糸の波状形と光の乱反射についての内容です。わたしの勝手な理解で不相応ですが、先生は糸や草木が持つ特性を深く観察なさって、それが製作工程で失われないよう細部に気を配りながら布に表出するよう導いていらっしゃるのだと感じました。特性を実体化させることは簡単ではありません。その骨子を惜しみなくお話くださることに敬服いたしました。そして、織りという制限のある表現方法の中で、思い通りに管理できない糸や草木の色を組み合わせる妙理が紬にはあるのだと思いました。

最後になりますが、講座では日常の始末から社会に向けての眼差しについてもその時々にお話しいただきました。そのつど、わたし自身の日常に照らし合わせ考える機会となりました。きものを着る楽しさも思い出しました。所有するモノは、ひいては自分を映すというお話は常時こころに刻みたいです。

個人的なことですが、わたしは中年者となりこれから後半の人生をどう生きるか摸索している最中です。このようなタイミングで紬きもの塾に参加できたことは幸せでした。得られたことを指針に、いつか体現できるよう日々を過ごしたいと思います。(蚕糸館・東宣子)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私にとって「きもの」とは、心を穏やかにしてくれて、いつもと違う自分にしてくれる大事なもの でした。しかし、「きもの」についての知識は全くの素人、着付けも習ったことはあっても半人前。大好きな「きもの」に対して後ろめたさも感じていました。

そんな折、ふと中野みどり先生の「紬きもの塾」を知りました。着物のことを知ることができるチャンスだと思いました。少しでも今より 一歩前に出たい、変わりたいと思い連絡を入れました。しかし、受付はまだ先とのこと。とても待ち遠しかったのを覚えています。
そして、先生のもとに通うこととなり、何より感慨深かったのは 紬の知識を知ることはもちろんですが、私の大好きな幸田文の『きもの』を通して、先生のお話を聞くことができたことでした。

文章の内容が先生の経験してきたこと、実践していることと重なり、本の内容が膨らんで、とても心に残る時間となりました。時に、先生の話が母と重なり、「も のを大切にすること」「生きたお金を使うこと」「身ぎれいにしてだらしなくしないこと」など、母 が口うるさく言っていた言葉がとても大事なことであることを示してくれていたことに気づきました。 
この塾では実際に糸を見せていただき、繭から命をいただき、自然の色に触れて「紬のきもの」とはなんと美しいものなのだろうということを改めて教えていただきました。 
回を重ねるごとに、美しいものとは何か自分の中で決めていく、身体感覚をよみがえらせるという 先生の言葉がとてもしみてきました。

少しでも着やすいように、半襟付けの仕方、着物のたたみ 方、管理の仕方、着付けの仕方、私たちが着物生活を始めたときに困らぬよう、一つ一つ丁寧に指導していただきました。
特に、基本中の基本である運針の仕方を学べたことはありがたかったで す。布にあった針を選び、指ぬきを使い、布を動かすこと。先生に見せていただいた手業はとても美しく、素早く、無駄のない的確な動きでした。最初は、指ぬきに針を当てることすら難しく、さ らに針は親指と人差し指で挟むように持ちながら上下に動かし、その針の動きとは反対に左手で布を上下に動かす。

初めての縫い目は、それは縫い目といえるものではありませんでした。しかし、先生は優しく「運針は練習が大切。そして布を大事に使い切ることも大切。」と諭してくださいま した。
その言葉に励まされ、なんとかあずま袋を完成させることができました。それも、先生のア ドバイスで赤い糸で端を縫ったのですが、さらしの白に映えて、それがとても素敵なアクセントと なりました。

針目は不揃いですが、そこがまた自分としてはとても愛おしく、嬉しくて。私に、手を動かし物を作る楽しさ、布を決して粗末にしてはいけないこと、手を動かすことで味わう穏やかな時間を教えていただきました。そのあずま袋は、毎日私を励まし和ませてくれています。 

私の周りにはそんなことを教えてくれる人はいなくて、先生からあふれる言葉を一言一句、逃してはいけないと思いながら毎回受講してきました。あっという間の時間でした。 
日常生活はもちろんですが着物を着ていくうえで、これからも自然の恵みに感謝して、美しいもの を大切にしていきたいと思います。

受講の合間の休み時間にかわす会話もとても楽しく、一緒に受講した皆様の思いやりに触れる素敵な時間でした。 
自分を見つめるチャンスをいただけた先生と、一緒に受講できた皆様に感謝しています。ありがとうございました 。( A.M.)  

                                

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私はこの「紬きもの塾」でいくつもの気づきを頂きました。


■ものの本質を見ることの大切さ
例えば美しい織物であってもその用途に見合った織り方になっているか。生地の密度は適度であるか。密度が高すぎれば、体のラインに沿わず、肌当たりもきつくなり着心地が失われてしまいます。
手織りだから良い、デザインが素敵だから良いというのではなく、どんな場面で、どのように身に纏う「衣服」なのかを考えて手にすることの大切さです。


■型にはまらない
現在では日常的に着物を着る方は少なく、街中で着物姿を見かけることもあまりありません。そのため手本、参考とするものが乏しく私自身、着方1つ、色合わせ1つ、小物1つ、どう合わせてよいのか考えすぎてしまいます。
しかし着付けにしても綺麗に着るために外せないポイントはあっても、あとは自分がいかに着心地良く着られるかを考えて工夫をすればよい事。色合わせについても洋服と同じ視点での見立てではなく、もっと自由に好きな色を取り入れて良いということを教えていただきました。
先生の着尺に帯や帯揚げ、帯締めを、季節や着る目的、好みなどで取り合わせるワークショップは、受講者の個性が垣間見えて楽しい時間でした。正解、不正解はないけれど調和がとれた時の各アイテムの収まり具合にはしっくりくるものがありました。
これだけは避けた方がよいポイントを伺い、バランスのとり方、あわせ方の新しい視点を教えていただきました。
無意識に持っていた洋服における色バランスの概念を取り払い、もっと自由に好きに選んで良いのだと教えていただき、それまでのこうでなければいけないといった思い込みから解放され、肩の力が抜け、より着物を身近に感じ着ることが出来るようになりました。
私の拙い文章では、学ばせていただいたことをここでは書ききれませんし、十分にお伝えできませんが、この紬塾を通して、私はますます「着物」に対して愛情を感じるようになりました。


養蚕家が一生懸命に育てた蚕から糸を頂き、染織家の技と想いが込められ一枚の布となり、和裁士の手で自分の寸法に合わせた着物となる。そんな日本の誇れる手仕事の結晶である着物が多くの人に愛され、大切にされて欲しいと改めて強く感じています。

このような学びの機会を下さった中野先生と、一年間同じく着物を愛する参加者の方たちと学びの時間を共有できたことに感謝しています。ありがとうございました。(I.M.)

                                    

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「なぜ生まれて今まで当然のように洋服しか着てこなかったのだろう。なぜ洋服の生活に疑問を持たなかったのだろう。かつて日本人は日常を着物で過ごしていたのに」ひとりで着物を着ることができるようになり、忽然と疑問がわきました。そしてこの疑問に向き合うために「一年間洋服を着ない、毎日着物で過ごす」という発想にいきついた頃、立ち寄った帯のアトリエ『花邑(はなむら)』で中野みどり先生の帯揚げ作品に出会いました。草木染めによる繊細で饒舌な色彩の美しさに圧倒され、長い時間手に取り、眺め、数枚を購入しました。それから一年が経ち、自らに課した「一年間毎日着物を着る」誓いをクリアしたため、「三年間毎日着物を着る」にアップデートしたころ、先生の帯揚げに会えるのではと再訪した『花邑』で、先生の帯の作品に出会い、その時、店主の杉江さんから「紬きもの塾」のことを教えていただきました。「こんなすごい帯揚げや帯を生み出す方の思想に触れてみたい」と迷わず申し込み、幸運にも16期生定員最後のひとりとして参加することができました。

中野先生の作品が生み出される空間、床の間には季節の花が丹精な造形として生けられ、掛け軸とともに設えられており、「この場所からあの美しい織物が生まれてくるのだ」ということの臨場感が強く印象に残りました。先生は暑い日でもクーラーは室温 32 度まではお使いにならないとのこと。環境のことを考えてクーラーを制限してお使いになっているのだと思います。このように丁寧な日々の積み重ねが先生の作品を形作るベースにあるのだということを学ばせていただきました。ガラス扉から庭の桜の木や草花の見える仕事場には、ところ狭しと織機が置かれています。この場所で生息する草木たちをあの帯揚げの美しい色彩へと変化させる神秘的な行為が、このような日常の中から生み出されるのだと知れたことは、私にとって特別な体験でした。ひとりで完結することでしか成し得ない、仕事への厳しさを知ることによって、その織物が醸す唯一無二の存在感の理由を知ったように感じています。

先生のお言葉は簡潔で、装飾的なこと、無駄なことはいっさい語られません。時に熱く語られる平和憲法の問題、環境問題、着物を取り巻く現状に対する批評的な視点、高潔な考えとお言葉には「怒り」があり、アーティストとしての、本質家としての信念を見せていただきました。

7回という限られた時間の中でしたが、着物の深淵な世界の表面を広く横断し、重要なことを教えていただきました。「紬は洗い張りをするとさらに良くなる。良く織るための織物、糸を生かした織物」「自然界の多くのものには黄色系とピンク系の色が潜んでいる。このニ色が基本の色」「モノを見る力は知識ではない。自分が見る力をつける。美しいものは何なのか、その時の感動をずっと持ち続けている」「自然物と人間の手が合わさって創り上げたもの」「紬は民のものなので身近なもので染める」「蚕の糸のウエイブが重要。糸のウエイブのことは忘れないで。それが風合いのもと」…教えていただいたその広がりの中で、その深さに対してアプローチしていけたらと思っています。私自身が三年間は毎日着物を着ると決めたニ年目でのことでしたので、「みんなが着物を着れば良い。文化を残していくのは市民がひとりひとり参加すればよい」と、日常に着物を着ることの重要性を語られる先生のお話は今の自分の日常感覚と重ねることができ、確信につながりました。中野みどり先生のご専門である「紬、きもの」の教えを通して自分の生き方を見つめ直し、「今の時代をいかに生きていくか」考える機会を与えていただいたことが、「紬きもの塾」での学びだったと思います。(H. K.)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

第7回紬塾「上質の半幅帯を愉しむ・仕立てについて」(最終回)&幸田文『きもの』の感想

 

 

第16期の紬塾の最終回が無事終了しました。
(※26年度の「紬塾」詳細はHPにアップいたしました)

最後の回も盛りだくさんな上に、打ち上げもあり、さすがに疲れました。(@_@。
内容は、名古屋帯の柄付けについて詳しくお伝えしました。
帯のポイント柄は位置が決められています。制作する上でも大事なポイントです。

時々、いい位置に柄が出てない締め方や、お太鼓に畳皺が出ている方がありますが、そうならないよう詳しく柄の位置を記した帯芯を使って説明しました。
“結び方”が先にありきで、ものをよく見ていないのです。

そして、打ち上げでは、みなさんからの心づくしの持ち寄り“おつまみ”をいただきながら、感想をうかがいました。
みなさんの感想は、後日のブログに上げます。

 

 

そして、この持ち寄り“おつまみ”が面白いのです。
それぞれの思い入れのある品が並ぶのですが…、

今回参加くださった、養蚕から製糸、販売までをされている、蚕絲館・東宣江さんは、養蚕の流れを模して造られた、群馬県の虎屋製の落雁「婦志の錦」をお持ちくださいました。

みなさんにも1袋ずつお持ち帰りいただいたのですが、東さんのお仕事に対する愛情もいただいたような・・、味わっていただいています。

 

蚕糸館についてはHPご覧ください。

製糸のワークショップなどもなさっていますし、動画でお仕事の一部も紹介されています。

プロフィールにも今日に至るドラマチックな出来事が綴られています。大変な仕事だと思いますが、布の風合いを生み出す元は糸にあります。座繰りの糸でなければ出せない風合いがあります。よいお仕事を夫君と続けていただきたいです。

 

最後にみなさんと記念撮影をしたのですが、それぞれの方の満足気な表情が写り込んでいて、私もうれしく思いました。私が赤い顔をしているのでアップしませんが・・。(#^^#)

 

この日の私の取り合わせは、自然体の落ち着く取り合わせです。

初期の作の、藍一崩し、赤城の極太節糸を使った紬帯「緑蔭」、梅染丸紋帯揚げ。

着物と帯と帯揚げ、オール手前もので失礼します。(^-^;

 

夜は、連れ合いがマリア・ジョアン・ピレシュの心地よいピアノ演奏を流してくれ、私はワイン片手に、みなさんからの感想がリフレインされ、あれもこれももっと話題を膨らませることができたのではないか…とさらに興奮覚めやらず、でした。(*’‐’*)


この講座では、自分たちが思い込みを解き、自分を解放して素直にものを見て、受け入れていくような機会になればと思っていますが、最後の回では、そういう感想もありました。
昨年4月から1月までの間で、本当に分かったというものではないと思いますが、今後に生かしていただきたいです。

 

そして、紬塾では、毎回順番に、幸田文「きもの」の感想を2~3箇所指摘していただくのですが、それぞれに視点が違い、とても面白いのです。
私も読み飛ばしていた箇所に出会うこともあります。今まで16期に亘る中で、たくさんの発見がありました。

 

この本はいくらでも深読みのできる名著であると断言できます。
紬の話は殆ど出てきません。でも着物や布を生活の中でどう扱ってきたか、どういう心がけで着ることと対峙していたのかを知る貴重な文化的資料としての意味も含め、大切に読み継がれなければならないと思います。

 

このような位置づけで、副読本にしているわけですが、前回の講義の時に、受講者である平野敬子さんが指摘された箇所は、今の社会の在り様とも重なる大切な箇所だと思いましたので、ご本人に文章化してもらいました。


下記の平野さんの文中にある、「着物の着方を乱しては世間が乱れる」は、世間を乱すのは、個人一人ひとりにかかるということです。大事なことと思います。


着ることは、個人の好みや楽しみ、楽だから―、で着るものではなく、社会性を持ったもので、個人を超えるものだ、ということを意識しないといけないのだと思います。

私の大正生まれの母も、着るものは質素ではあったけれど、だらしのない恰好は精神の「恥」であると思っていた節があります。若い頃、朝起きてからパジャマのままでいつまでもいると、必ず叱責されました。
床に臥せるような時が来ても、寝間着はきちっとしたものを身につけなければならないとか・・。
衣服をまとうこと、身支度への毅然とした考えがありました。るつ子のおばあさんの言葉と重なります。

 

田中優子著『布のちから』に、”メディアとしての布”という章があり、インドのガンディーが手織り布にこだわった話などが綴られています。この本も人は「何を着るのか」を考えるうえで参考になります。

 

最後に、平野さんの気づきの感想をご紹介します。
引用の箇所は、新潮社の単行本ではP.242、文庫本では、P.292になります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

『きもの』を読んで

 

中野みどり先生が主催される「紬きもの塾」の課題図書として幸田文の『きもの』を手にとった。読み始める前はストレートなタイトルの印象から、着物の種類や着方を記したエッセイのようなものとたかをくくっていたが、読み進むとそれが全くの見当違い、愚かな偏見であることにすぐに気がついた。

 

特に印象深かった箇所は、るつ子の家庭教師先で寝巻き姿のまま日中を過ごす教え子の叔父についてのくだりである。「…この男は袷に浴衣を重ねたのを、昼も着ていた。るつ子の父も襟のかかったどてらと浴衣を重ねて着るが、それは要するに寝巻と防寒着なのだから、夜しか着ず、昼間着ている人のことを軽蔑した。どんな職業の人でも、仕事着と、祝儀不祝儀の着物と、寝巻は、みな別だ。それを乱しては世間が乱れるからいけないのだ。…(本文p292引用/『きもの』新潮文庫 平成26年12月10日18刷改版)

「それを乱しては世間が乱れるからいけないのだ。」要するに「着物の着方を乱しては世間が乱れる」とまで言い切り、着るモノが人の精神、ひいては社会に与える影響の大きさについて確信的にのべられている。ではこの観点からファストファッションに覆われた現代を見るとどうなのか。大量廃棄による環境負荷、低賃金労働など問題が山積し、どれほど乱れた状況に陥っているのか。絶望的な気持になる。

 

登場人物の中でも、主人公るつ子の教育係である「おばあさん」の存在は際立っている。着物に対する知見はもとより、ことあるごとに「どうあるべきか」の規範をおばあさんが指し示す。この時代は経験豊かで聡明な老人が物事の正邪を見定める相談役を担っていたことで社会の秩序は保たれていたのだと理解した。

 

私小説のようなスタイルで日本特有の衣「着物」にフォーカスし、日本人の感受性や美意識、ひいては国柄を読み解くべく、鋭い観察眼を通して日本人像が浮き彫りになる様は、文化人類学的な観点ともいえる。幸田文の『きもの』は壮大なスケールの読み物であると思った。              

                               平野敬子           


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

第17期「紬きもの塾26」開催のお知らせ<1>

 

第17期「紬きもの塾26」を開催したいと思います。

 

 

日程などの詳細をHPにアップしました。

少人数の濃密な少人数の塾ですので、受講のみなさんも大変な決断で、遠方からもお越しくださっています。
そして私も体力の衰えと反比例して、講義に熱が入ってしまい心身ともにかなり疲れるようになり、毎年悩んでおりますが、あと1年“がんばろう”と思います。(^-^);
よろしければご参加ください。

 

「紬基礎コース」お申込み受付開始は3月6日(金)、開講は4月19日(日)を予定しています。

「紬基礎コース」受講希望の方は、カテゴリーから、過去のブログをよくお読みください。すべては書けませんが、ざっと内容はつかめると思います。

 

作る立場から、紬というものは本来どういうものなのか、現代ではどういう作られ方なのか。糸について、植物の色について、織物の風合いを生み出すものの根源など。
また、「“作る”ことは着ること、“着る”ことは作ること」という考えのもとに、着ることも話します。


上質なものをとことん使うこと、日本の自然観を取り合わせること、自然体で自分らしく着物を着ることなど、着ることと生きることは不可分なことと考えます。

 

参加くださる方々に合せ、毎年、内容は調整していますので、まだ着物をお持ちでない方も、着物に精通している方もご参加いただけます。

受付開始前にもう一度ブログでお知らせします。


※定員に達しない場合、開催できないこともあります。

 

 

初春のお慶びを申し上げます

 

初春のお慶びを申し上げます

 

毎年のことながら、年末の慌ただしさから一転、お正月はゆっくり朝酒、手作りお節で過ごしました。


お節は30日にきんとん、蒟蒻の辛煮、数の子、マリネ、なますなど、日持ちの良いものを作り、31日に残り13種類ほど一気に作りました。二人分の少ない量とはいえ、野菜料理が多いので下ごしらえに時間を要します。

連れ合いにも金時芋の裏ごしや野菜の洗い、皮むきなどやってもらいます。

 

50代の頃は大晦日まで仕事をしていて、お節と染色の仕事を同時進行させたり、懐かしいです。仕事の鬼でした。しかし、もうその体力はありません・・。

 

「お正月は鍋や釜、俎板、包丁などの道具も休ませてやるんだよ。」と母が言っていたことをいつも大晦日には思い出します。

休めない道具もありますが、人間が自分達の都合の良いように便利がって道具を酷使し、エネルギーも一年中、浪費しています。

全部はできませんが、道具や家電製品へも少し労りをもち、無駄な使用は抑えることは、省エネにつながる大事なことだと思います。

地球環境は崩壊の危機に瀕していますから。

 

さて、お雑煮ばかりは作り置きできませんが、小松菜、大根、人参は大晦日の最後に切って冷蔵庫へ。一番出汁も元旦の分だけは冷蔵庫へ。

朝、鍋に移し煮るだけにしておきます。質素な野菜だけのお雑煮です。母の味・・。

 

お節料理というほどのものではないのですが、鮭のマリネはもう50年作り続けている好物です。

まだ実家にいたころは、新巻き鮭というのをお歳暮で貰うことが多く、私が三枚におろしてました。焼くだけでなく、揚げて南蛮漬け、マリネ、酢で締めた鮭寿司、粕汁氷頭なますなど、すべて使い切ってました。

 

 

今は生活クラブで購入のスモークサーモンを使いますのでとても簡単です。

セロリ、玉ねぎ、人参、レモンや庭の酢橘を絞り入れ、オリーブ油やハーブで漬け込みます。最後に野菜で蓋をするように重ね、1日以上寝かせてからいただきます。

 

どれも3が日でほぼなくなるような小量ですが、飽きがこないよう種類はいろいろ作ります。

台所で立ちっぱなしですので、夕方には腰が痛くて大変でしたが、なんとか予定のものを作り上げました。
もう買えばいいのにと思うのですが、やはり自分の味付けはホッとします。


また、料理は素材を選ぶところから始まり、全体の味付けや海のもの山のもの、柔らかいもの、固いもの、調理法も煮る、焼く、炒め、生など、様々な取り合わせも大事です。


段取りや煮加減をチェックしたり、同時にコンロを3つ使ったり、染色をしている時のように、頭を多方面に使うことは老化防止にもなるような気もします・・。
身体と意欲が続く限りは、年末のお節作りを続けたいと思います。

 

今日は小寒。まだ寒さはこれからが本番ですが、空に早春の光を感じます。
近くの公園も冬枯れのままですが、蝋梅が蕾をふくらませて、少し咲き始めていました。
逆光の中、蝋細工のような花びらのシルエットも透けています。

 

すがすがしい空気の中で、新たな仕事の構想を練ることは創り手として至福の時間でもあります。
善き着手と出会い、善き布を創ってまいります。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

「此の手縞」の紬

 

今年も暮れようとしています。

お陰様で一年、無事に仕事をすることができました。ありがとうございました。
紬塾も、熱心に通ってくださる受講生の姿にこちらも励まされ、続けることができました。

来年もなんとか紬塾の開催ができればと思っています。

 

さて、画像は先日仕立て上がりをお納めした、薄灰緑「此の手縞」です。

画像で色を出すのが難しいのですが、やや緑味を帯びたグレー。

クールなグレーです。


胴抜き仕立にしましたので、秋口から春先までお召しいただけます。

八掛は灰緑です。


この方は、この着物が3反目となり、帯も合わせてお求めいただいております。

「此の手縞」がとてもお好きになられ、これで2反目です。
「此の手縞」というのは、網代、刷毛目などと同様に、糸味がよくわかる濃淡2色の色糸効果なのです。

私も1反作っていますが、どれだけ着たことか・・。

帯合わせがいろいろできるのがいいです。

HPの着姿集、中野の桜染め「此の手縞」も参考まで。

 

現在「此の手縞」の着尺の在庫はありませんが、注文で織ることもできます。

縞の配分など、いろいろできます。お問い合わせください。

 

途中に藤色の玉糸のよこ段に加え、女性的な上品さをプラスしてみました。

 

昨年末にご紹介した「網代格子」もそうですが、真綿紬の真骨頂ともいえるものだと思います。
分かって下さる方がいて、励みになります。

 

そして、来年秋には紬の道に入り50年目に入ります。
ここまで来たら、、あとひと踏ん張りせねば、、、と思っていますが・・。(^-^;

いい加減なものは作りたくはありませんし、身体のケアをしながら来年も、洗うほどに風合いを増し、美しくなる紬をあと少し織っていきたいと思います。

 

さて、世界が、日本が、紛争、環境破壊、貧困、差別などの難題を抱えています。

人権が守られ、自然環境が守られ、いつまでも文化芸術が栄えるよう、日本においては平和憲法を遵守した政治が行われますよう願うばかりです。

世界の平和、日本の平和を祈ります。

 

工房は12/28~1/4まで冬季休業になります。

「紬塾’26」に関しましては、来年1月中には詳細をお知らせいたします。

 

読者のみなさまも良いお年をお迎えください。